ウクライナと私
~第二の故郷 ウクライナに想いを寄せて~
総務部 筒井真司

 日々、ロシアの激しい侵攻を受けているウクライナ。その状況を毎日テレビで見ていますが、建物が完全に破壊され瓦礫の山と化し、婦女子が声の続く限り泣き叫んでいる惨状は、とてもいたましく目を背けたくなるような現実です。

 私はウクライナの首都キエフで2016年から2年間勤務、生活した経験があるので他人事とも思えません。私が滞在したウクライナについて簡単にご紹介すると、ヨーロッパの東に位置し、日本の約1.6倍の広さで人口は4,159万人です。公用語はウクライナ語ですが、旧ソ連時代の公用語がロシア語であったため、両言語を理解している方が多いです。1991年、旧ソ連の崩壊後にウクライナが独立してから約30年というまだ若い国です。夏の気温は35℃まで上昇し、冬は氷点下20℃となるため一年の寒暖差が大きい国です。
 「ボルシチ」という料理があります。これはロシア料理だと思われる方が多いかも知れませんが、実はウクライナ発祥の料理で、最も代表的な家庭料理です。2年間のウクライナでの生活でこのスープに心身ともに温めてもらい、日本に帰ってきてからもこの味が懐かしく思い出されます。

 ウクライナ北部、ベラルーシとの国境付近には過去最悪の原発事故を起こしたチェルノブイリ原発があります。私はこの施設の見学ツアーに参加し、1986年の原発事故から30年が経った後のゴーストタウン化した街に足を踏み入れたことがあります。今はロシアの侵攻開始から1週間でこの地がロシアの支配下になってしまったため、原子力施設の安全が脅かされ不安が広がっています。
 私が実際に知り合ったウクライナ人は仕事上の仲間や語学教師、テニスコーチなどでしたが、相対的に皆真面目で優しく、日本人に対して好印象を持っている方が多くいました。また、日本の文化やアニメに興味を持ち日本語を勉強し日本へ行ってみたい、という勤勉な人達も多く、実際に留学する学生もいました。

 私にとって2年間過ごしたウクライナは、第2の故郷と言ってもいいほど心に残る国でした。その国の人達が住み慣れた故郷を離れなければならない苦しみは言い様がありません。私もできる範囲でウクライナのためにお手伝いできればと思っていますが、一日も早くウクライナに恒久平和が訪れるように、早期に事態が終息することを願っております。

Слава Україні! スラーヴァ ウクライニ(ウクライナに栄光あれ!)


マイダン広場の独立記念碑(キエフ)

ボルシチ





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